不登校やけど交換留学したい

 

高校生になった。

私の学校は交換留学のプログラムがあった。

 

フィリピンのセブ島留学いらい、

海外にすごく惹かれていた。

自分でいていいよって言われる気がするから。

 

 

やからもちろん申し込んだ。

英語力のテストはふつうにパスできた。

その団体で一番高い点数が必要やったイギリスに合格できた。

 

 

 

ただ問題はここからやった。

交換留学するには担任と外国人先生からの推薦書が必要やったから。

 

日本人の中学からもってもらってる担任はしぶしぶ書いてくれた。

ただ、中学の時副担任やったカナダ人の先生は

「あなたはちゃんと学校に来ない。だから推薦するところがない。」

って推薦書を書くのを断られた。

 

今思い出しても虫唾が走る。おまえみたいなやつが先生なんな。

 

 

それでも留学したい(日本の学校にあまりいたくない)っていう

気持ちはとても大きくて、そしたらかかわり全くなかった

イギリス人の先生が毎日英語で日記のやり取りをするっていう

条件付きで代わりに推薦書を書いてくれた。

この先生にはほんまに感謝しかない。

 

 

そんなこんなあったけど、

交換留学できるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

不登校やけど留学

 

中学3年の冬、母が急に

セブ島に語学留学せん?」って提案してきた。

 

いまでこそ有名なセブ島留学やけど、

その当時はまだそんなに知られてなくて

ましてや発展途上国なんていったことなかったから

正直こわかった。

 

 

 

でもセブいったら学校いかんでええやんって

そっちが勝ったのね。

 

一応担任に一か月無断欠席ってとりあつかいでいいので

セブ島に留学してきていいですかって聞きに行かされた。

 

 

「もういっぱい欠席してるしええよ。」って

軽い応答。うん。わかってた。

 

 

てなわけで学校を一か月勝手に休んでフィリピンのセブ島に語学留学をした。

 

 

不登校でも成績だけわって家で自分で死ぬほど勉強してたし

英語の偏差値いっつも70超えてたから正直英語最初から自信あった。

 

 

このセブ島留学、英語ももちろんのびたけど

それ以上になんだか、世界って学校だけじゃないんやって、

世界って広いんやって気が付いた。

 

小中高の学生ってどうしても学校がすべてのように感じる。

やから当時の私にとってこの発見は大きかった。

 

 

15歳の私はもちろん最年少の日本人だった。

それでも年上のお兄さんお姉さんは優しく私に接してくれた。

ありのままの自分を見てくれようとしてる気がした。

 

 

 

この留学がきっかけで、少し気が楽になった。

相変わらず学校に居場所はないような気持がするけれど、

世界はここだけじゃないって知れたから。

 

この後も無断欠席してよう学校休んだけど、

ちょっと気持ち的には成長できてたと思う。

 

 

 

 

 

おまえはうちの中学にいらない

 

小学校を卒業して中学生になった。私立の中学だ。

1学年80人の小さな私立中学だ。

 

 

ここでも私はあまりうまくなじめなかった。

いじめられたわけでもない。

話しかけれないわけでもない。

ある程度はみんな会話できる。

 

 

でもこのクラスに私がいてもいなくてもどっちでも一緒やって

そうやって思ってた。

 

 

存在意義がわからなくて不登校になった。

 

 

母はそれを許さなかった。

自分の娘が不登校になってるという事実を受け入れられなかったよう。

 

 

学校に行かないを怒鳴り続けた。

「学生の義務はたさんやつは食わんでいい。」

「そんなやつ家から出ていけ。」

 

毎朝お互いに声を荒げて大ゲンカした。

学校行きたくないとだけ言う私と行けとだけ言う母。

理由をちゃんと言わない私と理由を聞こうともしない母。

そら相容れるわけないか。

 

 

包丁つきつけたりつきつけられたこともあったし

目の前で皿わられたり、制服やぶられたり、

家のごみ袋全部部屋に彫り込まれて部屋ぐちゃぐちゃにされた。

 

 

 

理由すらきいてくれんくて学校は行くべきものだと一点張りの

母が大嫌いだった。

学校に行かない私は生きてる価値がない。そういわれてるみたいやった。

 

 

ある日、母と担任の個別面談があった。

帰ってきたその日、母は泣いていた。

担任が母にこういったらしい。

 

「担任に宿題もちゃんとやらん、学校もさぼる奴なんて

うちの中学にいらん。公立行け。」

 

 

 

はは。これが自称中学ってやつやで。

 

 

 

なんか、その発言むかついた。母も言った

「私悔しくてたまらんかった。」

 

 

 

やから私は私がこの学校におらなあかんってことを示したくて

テスト期間の2,3日前だけ学校行って数少ない友達にテスト範囲聞いて

教科書を必死に丸暗記した。

 

 

結果は、普段は72/80やった私の順位は5/80までいっきにあがった。

全科目トップ10に私の名前があった。

 

 

すると担任は私が宿題を忘れても「まあKiisaは頑張ってるから。」って

何も言わなくなった。ははっちょろい。

 

 

 

それ以降テスト前はちゃんといっていい成績をとるっていうのを繰り返した。

 

 

もちろん学校休むたびに母とは大ゲンカなって

家にも学校にも居場所がなくて、なんならロフトベッドにベルトをぶらさげて

首をつったこともあったけど、頭が真っ白になって怖くなって途中でやめたりしたこともあった。

 

 

 

なんせ、誰も理解してくれる人なんていなかった。

 

 

ただただ抱きしめてほしかった。

ぬくもりが、存在意義がほしかった。

 

 

 

 

 

 

 

友達がほしくて

 

引っ越してから1年たった小学四年生。

 

一言も話さず家に帰る生活がとてもいややった。

友達が欲しい。遊びたい。

 

 

暗い子っていうイメージをとりたかった。

でも自分から人に話しかける勇気なんてなかった。

 

やから誰かに話しかけられたら絶対明るく振舞おうって心に決めてた。

小学三年生のときカーテンのように顔を覆ってた前髪も

ちょんまげをして顔を明るく見えるようにって子供なりに努力した。

 

 

そしたらクラス替えのその日、前に座った女の子が話しかけてくれた。

そして言ってくれた。

 

「Kiisaって意外と明るいんやね!」

 

 

そこからその女の子(A)はそのこの友達のグループに私をいれてくれた。

 

 

チャイムがなるとAのところに人が集まる。

初めのうちは自分からそのこの席に行けなかった。

「嫌われたらどうしよう。」「気味悪がられたらどうしよう。」そう思ったから。

 

 

でもそうやって自分の席から離れない私をAは

「kiisa!こっちおいでや!」っていつもよんでくれた。

 

 

すごく嬉しかった。

 

 

 

ただAちゃんはBちゃんのことが大好き。

いつもBちゃんにべったりくっついてた。

 

べつになんてことないのに、当時の私は誰も結局私のことが好きじゃない。

どうやったら好きになってもらえるんやろうって、

すごく悩んだ。

 

 

難しいね。

 

 

 

 

好かれないから

 

私の人生が狂いだしたのは小学3年の時に引っ越した時からだ。

 

もともと大好きな友達が何人かいた。

ごっこが大好きで学童から帰るときはいつも

その友達と建物の中を走り回ったり、駄菓子屋に行ったり、

友達の家にお母さんが返ってくるまでいたりした。

 

そんな生活も終わった。

 

 

新しい小学校。新しい児童館。

 

児童館で年上の子にいじめられた。

悔しくて恥ずかしかった。

学校でもうまく友達作りができなかった。

 

みんな言う、Kiisaは暗い笑わない子。

やから1番クラスで暗い、笑わない子になった。

 

一言も発さずに家に帰ることなんて普通やった。

 

 

でも友達がおらへんことお母さんに悟られたくなくて

必死に笑った。明るくした。

 

 

学校で友達がおらん分お母さんに甘えたかった。

でも母子家庭のうちではそうはいかない。

 

食事を食べてる時でもいつでも仕事の電話がなって

電話が鳴るとお母さんは仕事に外に出かけた。

夜寝て起きたらお母さんが家におらんことなんてざらやった。

学校から帰ってきて、家にお母さんがおることなんてまずない。

 

 

だから私はお母さんが電話してるところは大嫌いやし

仕事もその上司も大嫌いやった。